歴史のオマケ:18

石仏/3

現代の道しるべである交通標識は単なる行き先を示すサインという意味でしかないが、
江戸時代のそれは神や仏としての性格を合わせ持っていた。
そのことは道しるべの多くに地蔵菩薩や馬頭観音などが刻まれているのを見れば
オノズと判る。道しるべは本来、見ず知らずの旅人が道に迷うことなく
目的地へ到着できるようにとの配慮から建てられたもの。それでは自分達の利益に
無関係な道しるべを何故村人は道々にワザワザ建てたのだろうか。
現代の私達は社会の中で互いに支えあって生きている。もしくは生きていると考えたいと
思っている人が多いと聞く(プライバシーがどうのと言ってる割にオカシナもんだ)。
一人の人間がこの世を生きていくということは今も昔も目に見えない多くの人々の
力添えがあってのことだが、当時はこれに加えて神仏の加護が
人の一生を大きく左右すると考えられていたようだ。

決して楽な暮らし向きでなかった当時の農民が大切な金銭を浄財として出し合ってまで
道しるべを建てたのは、それが「人の道に適う」と考えていたことに他ならない
(人の道を時々踏み外す私としては耳が痛い)。昔は人知れず立派でしかも
シショウな考えの持った人々が巷に溢れていたんだな。名古屋の瑞穂区・昭和区辺りに
今でも姿を留めている塩付街道(街道の名前は星崎付近の塩田で取れた塩を
足助を経由して信州方面に運ばれたことに由来。塩は馬によって運ばれたので、
馬の安全を祈って所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置され、その一部が現在も残っている
貴重な道)にもそういった古くからの道しるべがかろうじで残っている。
その内、私も現代の塩付街道を巡礼して回るから結果はその時まで暫し待たれよ。
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写真1:朝日に照らされて可愛い石仏があった。
がしかし、この石仏はここの主人ではない。
肝心のほうろく地蔵は行方不明だそうだ。
(熱田区ほうろく地蔵
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写真2:伊勝神社へ寄った帰りに見付けた。
お堂みたいな所に名前も判らない石仏があった。
十八番にはどんな意味があるのだろう。
(昭和区伊勝神社界隈
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写真3:ここも山田天満宮へ行く道すがら見付けた。
訳が判らないものが雑然と置かれた中にあった。
初々しい顔をしてはにかんでいた。
(北区山田天満宮界隈
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写真4:本堂の横に唐突に置いてあったぼけ除け観音像。
金儲けにぼけてこんな石仏を置いちゃったのかもしれない。
ねぇ住職、そうでしょ。
(中区極楽寺
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写真5:右手に赤ん坊を抱え、左手はあやし棒か?見
向きもされないところにいた何か艶かしい石仏ではあった。
(北区日観寺
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写真6:「何でここに?」と誰でも思うだろうように
唐突に置かれていた御深井観音像。
心なしか手持無沙汰で立っていた。
(中区万松寺
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写真7:何にも書いてないのではっきりとは判らないが
私が思うにこのお方は役行者(えんのぎょうじゃ)という修験道の祖に違いない。
(北区別小江神社
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写真8:要は無縁仏になった墓標を集めただけなのに
何かピラミッドみたいで神々しい。
テッペンにいるお地蔵さんが何故か可愛らしい。
(北区清学寺
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by TOMHANA193 | 2010-03-02 11:02


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