歴史のオマケ:10

道と橋/1

名古屋市内にいったいどれだけの橋が架かっているのだろうか?
地図を見ながらせっせと数えるなんて閑人じゃないからできない相談だが、
ちなみに堀川ぐらいは数えてみた。それによると堀川だけでも51本もの人が渡れる橋が
架かっていることが判った。これから推測するに名古屋市内に200や300の橋が、
いやそれ以上あるに違いない。それと東区の「砂田橋」とか北区の「彩紅橋」といった
今ではもう影もカタチもない橋の名が残っていたりするからややこしい。

歴史小説をこよなく愛する私のイチオシが藤沢周平だ。彼の小説の舞台である海坂藩に
必ず登場する風物といえば川とそれに架かっている橋が挙げられる。
城下の真ん中には五間川という川が流れ、さらに東にも西にも大小の川がある。
そもそも五間川という一定の名は付けられていないみたいだが海坂物の重要な舞台として
よくこの川は登場する。橋には千鳥橋とか河鹿橋といった洒落た名前がついている。
また町の西側を流れる川は青龍寺川で、例えば『ただ一撃』には主人公の刈谷範兵衛が
川原で石を拾ったり釣りをしたりする川として登場する。

その青龍寺川に架かる橋のひとつに万年橋という橋がある。小説『又蔵の火』に
この万年橋が出てくる。「三ノ丸を出ると、すぐ川に突き当たる。橋の向うに禅竜寺の
広大な甍が聳えているが橋を渡らず川岸を右に折れ、雑木林が残る川岸を万年橋まで
ゆっくり歩き、橋から右に曲がって三ノ丸に入るのがそのときの道筋である…」
また『小川の辺』という短編にも青龍寺川のイメージの川が登場する。
幼い子供達が川遊びをする場面が次のように描かれている。

「湿地の葦の間には、夏になると葦切が巣を懸けて卵を生んだし、川は砂州が多く、
流れも浅いところは子供の踝までしかない。(中略)家中の家々では、子供達が裏の川へ
行くことを禁じていたが、子供達はこっそり外に忍び出て川に走った…」
この小説には江戸の近くの行徳あたりの小川も出てくる。
脱藩した妹夫婦を追いかけて来た兄がこの小川の辺りで討手として対面するという
悲劇なのであるが、この兄妹の幼い頃の想い出がその悲惨さをいく分やわらげている。

藤沢氏は市井物の多くの舞台を江戸の深川に求めたようだが深川にも
小名木川に架かる万年橋という橋がある。彼の描く市井物にこの橋は何度も登場し、
大川の水の煌めきや橋を渡る人の足音などが情緒深く描かれている。
川と橋に彼独特の特別な思いがあることが判る。私もいつの日か、橋にまつわる物語を
何か書けたらなと思う。それまではせっせと歴史ある橋を訪れては川の流れを
静かに見つめ在りし日の面影を呼び戻したいと思う。
道行く人よ、思い詰めてる訳じゃないから安心してね。
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写真1:何気ない坂道の向こうに五重塔が。
この道は名古屋版哲学の道。探せばこういう道がまだあるといいな。
(千種区城山町界隈
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写真2:庄内川のすぐ隣にある大きな公園。
そしてその隣には堤防が続いている。庄内川の水位が上がると水没する公園だ。
(西区庄内緑地公園
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写真3:有りそうで見つからないのが六差路。
とある路地裏で見付けた証拠の写真がコレ。別にどうってことないか。
(南区寺崎町界隈
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写真4:年寄りの町と脚光を浴びた円頓寺商店街も
今では寂れ果てて人通りもまばら。そんな中、婆さんが買い物籠を引きずっていた。
(西区円頓寺商店街
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写真5:江戸時代、伝馬橋と五条橋の中間にあったからこの名がついた。
堀川に架かる橋では一番古い。しかし、橋の上に駐車する神経が判らん。
(堀川中橋
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写真6:所詮橋なんだから。一生懸命整備するほど
だんだんチンケになってくるみたい。橋の袂の柳の木が昔懐かしい。
(堀川納屋橋
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写真7:当時の面影がこれほど残っていない橋も稀だ。
だから土地の人も単なる冴えない橋だと思っているに違いない。
(堀川伝馬橋
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by TOMHANA193 | 2010-03-02 11:20


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