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GOB備忘録:2

GOOD OLD BOYSの歴史

思い返すと、このバンドの始まりみたいなものは私と雄サンが初めて出逢った1973年、
私がまだ20歳ぐらいの頃に遡ると思う。研チャンに会ったのもちょうどその頃、
今池の桜通沿いにあったユッカで。その店はまだライブハウスなんて呼ぶには程遠い、
ただの喫茶店みたいな店だった。
そこで雄サンがひとりで弾き語りみたいな感じでヤッてた。
第一印象は髪がインデアンみたいに長くて、今ではちょっと想像つかないが
ヒッピーみたいでカッコいい人だった。それとアコスティック・ギターが
真似できないほどウマイということ。当時の若者といったらフォークギターを
ただ単純にコードをかき鳴らすだけという人ばっかりだった。
しかし彼のギターからは、えも言われぬ本物のサウンドが聞こえてきた。
ユッカにはそれ以来、足繁く通うようになった。

研チャンはその頃、もうリッパな社会人だった。
だから、ワシラの知らない大人の歌が良く似合った。
研チャンには例えばトム・ウェイツなんかの巷では全然人気がないけど
実力のあるシンガーたちをずいぶん教えてもらった。
それから付かず離れず一緒にヤッてきた。いろいろなことがあった。
月に4〜5回ライブに追われる時もあったし、年に1〜2度という時もあった。
メンバーもずいぶん変わった。ドラム・ベースはもちもんキーボードや
女性ボーカリストがいた時もあった。Y君とはそんな中、偶然出会った。
新栄の「オーティス」というバーで。酔って話すうちにわかったことは、
昔ユッカで私と雄サンがブルースをヤッてた頃、彼も同じ今池の「オープンハウス」という
ライブハウスで同じブルースをヤッてたということ。
それ以来、なんか戦友のような存在になった。I君とはこのバンドの前、
私が高校生の時から時々ヤッてたから一番古い間柄かもしれない。
私がこの世界に入ったのも彼のおかげと言っても過言ではない。

余談だが、我々のバンド名「Good Old Boys」はRandy Newmanの
1974年発売のLPタイトルから拝借した。かれこれ30年近くも使っているが、
最近自分で言うのもなんだが、この名前にシックリくる音になってきたと思う。
夢は終わることなく、いつまでも続いてゆく。焦らず、急がず、コツコツと
身体の続く限り自分勝手に…。願わくばオジサン達のあの頃の真っ黒なブルースと
心に滲み入るミュージックも御贔屓に。
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雄サン[Guitar&Vocal]
昔、友達と3人でヨーロッパ各地を放浪する。その後、ひとりは安城で
家業の庭師を継ぎ、ひとりはアムステルダムで成功したと聞く。
そして彼は今も、名古屋と尾張旭のボーダーに家族と愛犬と仲良く住んでいる。

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O[Vocal]
2002年2月、突然脳硬塞で倒れる。左半身にマヒは残ったものの
危機的状況を脱して半年あまりの療養を経て帰ってきた。今は仕事にも復帰して、
毎日、上前津の事務所にM美さんと一緒に出ているのだ。

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研チャン[Vocal]
まさにヴォーカルの達人だ。彼はいつ聞いてもホレボレするほどの美声とセンスで我々に、
本来歌とはどうあるべきかを教えてくれる。還暦も越えた今でも、
卓越したヴォーカルテクニックは他の追随を許さない。

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Y君[Guitar&Vocal]
若い若いと思ってた彼も、ここにきてギターに、さらには歌にいい味が出てきたと思う。
彼は正真正銘、名古屋のナンバーワンブルースマンだ。
今もソウルバンド「バレーボールズ」など幾つかのバンドでも活躍してる。

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I君[Harp&Vocal]
久しぶりに懐かしい顔が帰ってきた。ブルースを歌わしたら「ちょっとマネできない」というのが
第一印象。当分「音楽のリハビリ」が必要だなどと言ってるが、
その内絶品の真っクロケのシャウトをきっと聴かせてくれるはずだ。
by TOMHANA193 | 2010-03-02 13:28


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