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名古屋巡礼記:20

七寺

∴東海36不動尊第9番札所であり名古屋21大師第2番札所でもあるのがココ『七寺』。
こんなとこ目立たないから地元の人でもたぶん知らないだろうな。
入口には豊川稲荷の白旗が何故かはためいている。境内に入って(どこが境内だか
パッと見わからない)すぐ目に入るのは高さ2mほどの青銅製の大日如来坐像。
屋外で風雨にさらされ、更に木々に覆われてかなり痛んでいると見た。
本堂と附属の稲荷社はこれまた何故か棟続き。

∴由緒書きには「正式名は稲園山正覚院長福寺といい、735年行基和尚によって開創。
河内権守紀是広が7歳で死んだ愛児光麿の菩提を祈り、787年七堂伽藍と
12坊を建立した。以来七寺と呼ばれるようになった。堂塔は941年に焼失したが
尾張権守安長朝臣が再興、その後現在の稲沢市七寺に移した。
1591年には清州城下に本堂が新築され、1611年清洲越しにより現在地に移築された。
それ以後、諸堂が次々と再建され徳川光友により三重塔が再建、
七堂伽藍の輪換の美を誇るに至った。1890年本堂・弥陀三尊仏・一切経が国宝に指定され、
1925年には準別格本山に昇格した。1945年3月の戦火で焼失したが、
弥陀三尊の聖観世音菩薩・勢至菩薩の2体は焼失を免れ、唐橿入一切経と共に
国の重要文化財として広く信仰を集めている。宗派は真言宗智山派である」とのこと。

∴江戸時代には大須観音や七寺を中心にして門前町が形成されていて、
その参拝者を当て込む商人や娼婦や博徒などでたいそう賑わっていたという。
そこでは神事と関わりのある大道芸も盛んで、小屋掛けの見せ物の他にも芝居小屋が
3ツもあったほど。辻々には曲馬や地獄・極楽、口上付きの物売りが出回っていたという。
それを物語るかのように、尾張藩の御城代組同心、御畳奉行であった朝日文左衛門が残した
日記『鸚鵡籠中記』に七寺のことが出てくる。それによると、文左衛門の愉しみは
人目を忍んで芝居を観ることであったという。それで大須観音境内の盛り場などで
芝居を観る時は「寺詣りといった格好で袴をつけて家を出て、ひとまず法花寺辺りを
ぐるぐるひと回りして、それから南の田んぼ道を大須に向かう。そして境内の芝居小屋付近を
町奉行所の同心や手の者がうろついていないかを確かめ、まずは大須観音と背中合わせにある
七ツ寺の境内の茶店に入っていく。ここで飲みたくもない茶をすすり、袴を脱ぎ、借りた編笠を
かぶって芝居小屋に潜り込むという用心ぶりなのである」とまぁこんな調子だった。
それにつけても元禄のサラリーマン武士もけっこう苦労が多かったようだ。

∴昔、シゲチャンのヤッてたエレクトリック・レディーランド(通称エル)がこの近くにあったので、
何度も来たとこなんだけど、この寺の記憶はない。それにしても事務所からは
いかにも遠いところ。往復するだけでも一汗かく。そうして私も門前に立った
(断っておくが門前とは言葉のあやで、ここに門はない)。思ったほど境内も広くなく、
なんかシミッタレた感じで当時の面影を忍ぶ由もないが、それでも戦前の境内の様子や
内陣の写真を見ると昔の凄さがよくわかる。戦災で仏閣はことごとく焼けてしまったが
偶然2体の菩薩像が残った。今の本堂には左に聖観音菩薩、右に勢至菩薩の菩薩像が
並んで座っている。光背に水瓶と化仏を表した珍しい形で、2体とも平安時代の仏像らしい
優美な表情だという。しかし、それを拝むのにはわざわざ拝観料が300円必要だという。
転んでもタダでは起きぬとは太っ腹のココの坊主のことだと思った。

∴話は急に変わって名古屋名物といえば、なんといっても赤味噌。その味噌を使って
新鮮な豚ホルモンである”とんちゃん”を食べさせてくれるお店があるという。
場所は七寺から北へ上がったすぐのところ。そもそも大須で40年続いた“岡ちゃん”という
名店(たしか、私も1〜2度入った記憶があるにはある)が閉店するにあたって、
伝統のその味をぜひ守りたいと、長年近所付き合いをしていた喫茶店“ふじ”に
白羽の矢をおっ立てて、無事とんちゃんやふじは生まれたという。その秘伝の味噌ベースの
タレをつけて網焼きするトンチャンは独特の香ばしさでいっぱいになるとか。
しかも値段は庶民的の1皿230円と超格安だ。2000円もあれば腹いっぱいになること
請け合い。また、タンといえば牛タンが一般的だけど、ココでは豚のタンといった珍しいものまで
味わうことができるという。しかし、話をぶち壊して申し訳ないが、岡ちゃんの焼肉そんなに
旨くなかったような記憶がするんだが、これって私の勘違いだったのかなぁ。 

∴ココも御多分に漏れず、月極駐車場を貸す合間に寺と神社とその拝観料で
多角的経営に成功している。そんな訳ないか。ココを見てるとフツフツと怒りが
込み上げてくる。自分のモノとはいえ神も仏もこんなに粗雑に扱っていいもんなのかねぇ。
バチ当たりの住職には超猛省を促す。
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写真1:ここは全てが雑然。渾沌とは意味が違う。
何代もの住職がいいと思ってしてきたことがこの結果。締まりなく雑然、その通り。
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写真2:喫茶店がそのままとんちゃんやに変わった、その通りの店構え。
旨けりゃなんでもいいという私でも、ここには入らないなぁ。

by tomhana193 | 2010-03-04 08:23


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