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名古屋巡礼記:15

日出神社

∴場所はどこかというと、テレビ愛知のすぐ西隣り、何でもないマンション横に
ヒッソリと佇んでいる。徳川家康の命により清洲越えした4つの神社の内、
明治42年に愛宕社と神明社を合祀して出来たのがココ『日出神社』である。
そもそも愛宕神社の中心は京都の愛宕山の山頂にご鎮座する愛宕神社。
御祀神は火の神である迦具土神。火の神様ということで防火に霊験があるとされている。
また、火を使って作る陶磁器の守り神として全国各地の陶器神社にもお祀りされている。
神明社は『お伊勢さん』の名前で親しまれている伊勢神宮系列の神社で皇大神宮や
神明社の名前で全国に1万8000社ほどある。御祭神は稚日女命(ワカヒルメノミコト)であり
天照大御神の御妹神にあらせられる立派な神様ということだが、日出神社を
HPで検索してもこれはというのは全然出てこない。さしずめビッグな親会社を持たない
地方の独立系中小企業ということだ。それを如実に表わすのが昔からの社標。
日出神社という名前の頭に今でこそコンクリートで埋めて目立たなくしてあるが
ハッキリと田舎臭く“村社”という文字が彫ってある。

∴ココの本殿は日出古墳という古墳の上に建っている。今となっては面影がないが、
おそらく5世紀頃の前方後円墳だと思われる。古墳の上に建てられた神社は名古屋には
他にも多く残って折りなんか興味深い。大須界隈には他に名古屋スポーツセンターのあたりに
大須二子山古墳という古墳があり、これは愛知県内で13番目に大きい前方後円墳(墳長80m)で、
ここからは2枚の古鏡と挂甲の鎧や馬具類が多数出土(名古屋市博物館所蔵)している。
大須にこれだけ古墳が残っているということは当時からこの付近が人が住むには適した
一等地であったことを伺わせるには充分だ。

∴この際もうひとつ、皆さんの知らない古墳を紹介しよう。場所はというとゴチャゴチャした
大須観音通りから小道を北に入ったところ、ビルとビルに挟まれひっそりと佇んでいる。
その名は那古野山古墳。現在、高さ6m、直径17mの後円部のみが残されているが
もともとは前方後円墳だったようだ。ここからは有蓋脚付短頸壺(須恵器)が出土しており
近くの富士浅間神社に保存されているそうだ。またこの辺りは江戸時代修験道当山派で
富士山観音寺とも呼ばれた清寿院の後園となっていたが明治の廃仏棄釈により
この寺も廃寺となった。1879年市内で最初の近代式の公園“浪越(なごや)公園”として
開園したが1909年鶴舞公園ができたのに伴って廃止された。以降、那古野山公園として
大須の街のビルの谷間に在りし日の那古野山古墳の姿をかろうじて留めている。

∴それともうひとつ、今はなき清寿院の中門前に当院の供水として、
はたまた将軍家上洛のときには飲用水として用いたとされる名古屋3名水のひとつ
柳下水という井戸があった。他の2つは元古井の名水(千種区)と菊の井(西区)である。
現在はビルの1階喫茶店の前に井戸の跡がある。興味のある人は探すように。
しかし賑やかな商店街の中に古墳が残っていること自体非常に珍しいことなのだが
イカンセンそのことを知ってる人は少ない。誰いよう私もそのひとりであった。

∴日出神社に話を戻すが、元旦には参拝者に酒が大盤振る舞いされるフトッパラの神社。
はたまた5の倍数の日には大須朝市と称して旬の生鮮食料品が思いきった値段で並ぶ
庶民の味方、朝市が開催されるという。もとよりゴリヤクとは縁も所縁もないところだが
古墳と朝市に興味のある方はダマされたと思って一度訪れることをお勧めする。
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写真1:れが庶民的神社のホープ「日出神社」の全景。
今度は朝市を開いている時に来ようと思う。また新しい発見があるかも。
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写真2:入口横にいるヒョウキンな狛犬。
アゴが外れたみたいで恐くない。
by tomhana193 | 2010-03-04 08:42


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