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リハビリ日記:45

台風の話

今年は台風の当たり年みたいで、日本本土に上陸した数も新記録だという。
そもそも台風とは日付変更線より西の太平洋と南シナ海で生まれた熱帯低気圧のうち、
中心付近の最大風速が17.2m/s以上のものを台風と呼ぶそうだ。
台風は英語でtyphoon(タイフーン)と書き、台湾のほうから来る嵐を意味する中国語を
アラビア人がヨーロッパに伝えた言葉で、日本語では「大風」または「颱風」から「台風」と
書かれるようになったといわれている。日付変更線以東ではハリケーンと呼ばれ、
語源は南米インディオの「風の神」に由来するという。インド洋で発生したものは
サイクロンと呼ばれ、サイクル(旋回)を意味するギリシャ語に由来するといわれている。
また、オーストラリア周辺のものはウィリィウィリィと呼ばれ、これは「どうしようもないやつ」の
意味からきているようだ。1970年のサイクロンではバングラディシュで約50万人もの
死者・行方不明者を出した。いずれにしても台風・ハリケーン・サイクロン・ウィリィウィリィは
全部熱帯低気圧が発達した、直径100km〜1000kmで
反時計回りの巨大な雲の渦だということだ。

昭和以降の被害の大きかった5大台風を列挙するので傾向と対策を忘れずに。

室戸台風:1934年9月20日、室戸岬から上陸した台風は新潟の海上へ抜けるまでに世界気象観測始まって以来最低の911.9mbを記録した。この記録は同緯度における最低気圧として未だに破られていない。また、この時上陸した室戸岬では瞬間最大風速84.5m/sを記録したが、その後風速計が壊れてしまい計測不能になった。この数字は現在でも日本気象観測史上最高記録のまま。被害は死者・行方不明者3036人、負傷者14994人、倒壊家屋92740戸、浸水家屋401157戸、船舶損壊27594隻。政府はこの災害を教訓として注意報警報を発表するようになった。

枕崎台風:1945年9月17日、鹿児島県枕崎附近に上陸した台風は最低気圧916.6mbを記録した。死者行方不明者3756人、家屋の損壊89839戸、浸水家屋273888戸。

キャサリン台風:1947年9月8日、紀伊半島沖から関東地方すれすれに房総半島をかすめ三陸沖へ抜けた。最低気圧986mbと弱いものであったが活発な秋雨前線のため、その前から豪雨が続いているところへ更に300〜500mmの豪雨を伴い、各所で洪水をもたらした。死者行方不明者1930人、家屋倒壊9298戸、浸水家屋384734戸、罹災者1642571人。

洞爺丸台風:1954年9月26日、鹿児島県に上陸した台風15号は最初は弱い台風だったが、猛烈なスピード(時速約80〜100km)で中国地方から日本海に入り26日夜半北海道西方海上まで到達したときは956mb、暴風雨半径300km以上の強い大型台風に成長していた。青函連絡船「洞爺丸」は乗員111人、乗客1204人ほか22人の計1337人を乗船させて青森港を目指して出港した。後の調査によると当時函館港は台風の目の中にいたものと推測された。出港直後風速約30mの暴風雨に見舞われ、その後「本線500kcでSOS、よろしく」という通信を残し連絡を絶った。救助されたのはわずかに198人で、残り1139人は死者行方不明者となった。また、午後8時15分頃岩内町で出火、風速40mの強風にあおられたちまち燃え広がり町の80%を焼失する大火となった。死者33人焼失家屋3299戸。このほか同じ日に富山県黒部市においても115戸が焼失する大火が発生していた。

狩野川台風:1958年9月15日台風21号が襲来、近畿以北に大きな被害をもたらした。その一週間後の9月26日に台風22号が襲来、伊豆半島から関東地方を直撃した。21号は東日本一帯に200mm以上で多いところでは300mm以上の豪雨を降らせ、広範囲に水害を発生させたところへ22号が更に豪雨を降らせた。特に伊豆半島狩野川流域での被害が甚大であったため、台風22号を「狩野川台風」と命名された。中心気圧877mb、最大風速75m/s戦後最低の気圧として記録された。関東南岸の停滞前線を刺激し、伊豆半島湯ヶ島で24時間の雨量は694mmを記録。狩野川、伊東大川の氾濫で伊豆温泉郷に大水害をもたらした。死者行方不明1269人、家屋倒壊16743人、浸水家屋521715人、耕地被害89236ha、船舶被害260隻。

伊勢湾台風:1959年9月26日、台風15号が潮岬付近に上陸し、伊勢湾沿岸に気象観測史上最大の台風災害が発生した。死者行方不明者は5098人という空前の大惨事となった。硫黄島あたりで台風15号となり日本本土に向かうにつれ更に発達して中心気圧は894mb、最大風速75m/sbの超大型台風に成長。伊勢湾台風の特徴は1.発生から上陸まで6日間と異常に早く、中心気圧895.4mbと猛スピードで発達した。2.暴風雨圏が広く(直径700Km)超大型の台風であった。3.停滞前線の影響もあり、豪雨をもたらせた。4.上陸後も衰えることが少なく、風による被害をもたらせた。5.最大暴風雨域が伊勢湾に集中し、最大風速の風向きが南東という伊勢湾にとって最悪のものであった。犠牲者の70%が高潮によるものであった。高潮は名古屋港では平常潮位を3.45m超え、堤防基準からみると5.31mに達した。海岸堤防4.8mをはるかに超えた。これに波浪を加えると波の高さは10mに及んだ。海岸堤防の決壊が128箇所、14km、河川堤防の決壊125箇所、21kmに達した。名古屋市南区、港区をはじめ、愛知県飛島町、弥富町、三重県桑名市、長島町などが荒れ狂う濁流に呑まれ、数千人が家もろとも押し流された。私はこの時、北区中切町で停電の中、寝ずに窓枠を押さえていたのを思い出す。死者、行方不明者5098人、負傷者38921人、家屋の損壊833965戸、浸水家屋363611戸、耕地損害210659ha、船舶被害7576隻。伊勢湾台風の教訓を生かして国は治山治水10ヵ年計画を閣議決定し、わが国における本格的長期治山治水事業化が発足する歴史的な転機となり、更に「災害対策基本法」の公布がなされる契機となった。また、科学技術庁に防災科学技術センターの設置、気象庁に気象研究慮台風研究部などが設置されるようになった。

なお、気象庁の記録上最低気圧が観測された台風は1979年に発生した台風第20号の
870hPa。上陸時最低気圧は上記の室戸台風の室戸岬911.9hPaであった。
記録は破られるためにあるというが、こんな記録はもう破られない方が世のため、
人のためにはいいに決まっている。こんな身体になると雨が一番の敵。
なんせ杖を付いて歩いているので傘は持てない。ましてや、雨プラス風の台風は
不倶戴天の仇といってもいい今日この頃です。
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情景写真:45
by tomhana193 | 2010-03-04 13:31


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