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リハビリ日記:67

春は再会の話

昨日の日曜日朝早く(家を出たのが6時頃、陽は出ていなかったが
太陽は既に登っている時刻)、兼ねてから春の日の桜満開の時期に一度は
行ってみたいと思っていた神社に行ってきた。この神社、2年前から
桜の綺麗な神社として存在は知っていたがナンダカンダ機会が合わずに
2年がムダに過ぎてしまっていた。その神社の名は「お千代保稲荷神社名古屋支社」
というもの。稲荷神社だけが独立している神社は名古屋広しと言えども
そんなにあるもんじゃない。そういう私も3年近く歩き回って
やっと今回初めての経験じゃなかったか。

地下鉄「名古屋大学」駅を降りて500m程歩くと坂の途中にその神社はある。
境内はそんなに広くはないが、桜の木がこれでもかというぐらい埋め尽くされていた。
正門とおぼしき赤い鳥居(直ぐ横に隠れるように百度石もあった)をくぐって中に入る。
すると、いきなり信者寄進の赤い鳥居が参道上にビッシリ並んでいる。
途中耳の欠けた狐様の石像が何故か無造作に置かれているといった感じで
1体だけある。桜の薄桃色に塗られたジュータンの下に真っ赤な鳥居が連なっている。
その下をシズシズと登っていくのであるが、日常の世界から遊離したその美しさに
暫し時の経つのを忘れてしまった。お世辞抜きでそういう感じなんだな。

本殿は小高い丘の上にあるといった感じ。坂を登っていくと少し開けたところに
拝殿とその後ろに本殿があった。一目見て「さすが違うな」と妙に納得してしまった。
というのも、この地方で稲荷と言えば豊川稲荷がまっ先に浮かんでくるがちょっと遠い。
それよりはという感じでお千代保稲荷神社に参拝に行く人が結構いる。
ここは岐阜県海津市にあって「おちょぼさん」の愛称で親しまれている神社。
京都の伏見、愛知の豊川と並ぶ日本三大稲荷のひとつでもある。
そんな神社のいわば支社だから粗末であるはずがない。お参りを済まして、
拝殿とか賽銭箱、その横に置いてある重軽石の写真など神社グッズを撮っていると
突然見知らぬオバサンが私の方に近づいて声をかけてきた。
初めは誰か身内に脳硬塞患者(その時の私を見れば誰でもそう思うはず)がいて
つい声をかけてきたんだろうなと思っていたら、どうもそうじゃないみたい。

「私のこと、ご存知?」と親しげに聞いてくるじゃない。

私は「はぁ〜」と答えともつかない突拍子もない返事しかできなかった。

するとその人は私の心配を打ち消すように「Sです」と続けてきた。

私はというと(Sと言われて思い付くのは中学の同級生1人だけいたはず。
ということはこの人私と同じ歳なんだろうけど、どう見ても違うようだ。
それにSと言えば清楚でお嬢さんタイプだった。だけど目の前にいる人は
髪を無造作に後ろに束ね化粧気もなくソコラにいる単なるオバサンのようで
Sとは似ても似つかない感じ。待てよ、そんな私の心の中で描いているSの印象は
カレコレ30年以上も前のもの。そうだ、今目の前にいる人がSかどうかなんて
問題じゃない。ひとつ判ってることといえば彼女は私の遠い昔の知り合い
なんだということ。しかし待てよ、どうして私だと判ったんだ?
彼女と最後に逢ったのは20歳ぐらいの時、私は30ウン年経っても
そんなに変わっていないのか?それに引き換え、彼女の変わり様はどうした訳だ。
幸せなのか?不幸せなのか?フクヨカナ感じからして幸せなのかもしれない。
しかし判らん)と彼女の話に相づちを打ながら久しぶりに逢ったという
穏やかな表情とは裏腹に全速力で読解していたんだが結論は出なかった。

そうとは知らないSさんは「そうじゃないかと思って、どうなさったの?」

「4年前に脳硬塞で‥‥」

「しかし、リハビリがいいみたいで‥‥」

私は何故かいたたまれなくなって「御無礼します」と言って別れてきた。
その間、2〜3分の出来事。Sさんだとして顔も変わるぐらいの久しぶりに再開して、
話したことと言ったら一言二言当たり障りのない会話だけ。
これだからM美に「あんたは薄情なんだ」と「人の機微が全然判っていないんだ」
と言われるんだ。「Sさん、悪気があった訳じゃないからね。
余りに突然、ホントに久しぶりに逢って、心の準備がないままに上がってしまったんだ」
と彼女に向かって一心に拝むしかなかった。まあ何はともあれ、よかったと
帰りの地下鉄の中で汗をふきながら久しぶりの再会を思い返していたらふと、
西行の時世の句が何故か思い出された。

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
         そのきさらぎの 望月の頃
リハビリ日記:67_e0093719_111316.jpg
情景写真:67
by tomhana193 | 2005-12-19 11:04


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