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名古屋巡礼記:25

東別院界隈/前編

∴21回目の大須観音で『大須界隈神頼み』は満願成就、目出度くも終了した、
はずだった。しかし、ホントにあれで満願成就したといえるのだろうか。
何か達成感のない中途半端な終わり方だったような気がする。
だから、何か終わった気がしなかったんだ。「このままじゃ終われない。
まだ、やれることがあるはずだ」と自問自答した時、アイデアがポッと閃いてきた。
フィールドを名古屋全域に広げて私が「ここだ!」という神社仏閣に出かけていって、
お参りしてくるというもの。要は雰囲気が変わっただけのテイのいい二番煎じ。
だけど、進歩の跡も伺えるぞ! もうちょっとマシナ評価表を作って採点してる。
それと、巡礼記とは別にその神社仏閣の知られざる姿もちゃんと紹介いる点かな。
あとは勝手知ったる何とかで、ズバズバ、ドカドカ、聖域に入っていくぞ!
さぁ、あなたも私と一緒に日常の喧騒を忘れて神と接する巡礼の旅に杖
(私の場合、杖なしでは歩けないので必需品だ)をついて出かけようではないか。

∴ということで、小手調べに隣の駅にある東別院に行ってきた。
このお寺、過去に何度も来てるんだがちっとも馴染めない可笑しな寺だ。
来てみて思うことはとにかくただデカイということ。本堂もデカイし山門も境内もデカイ。
私は来たことはないが境内では時々植木市も開かれてるみたいで、
その為かどうか知らないが真ん中に水の出ない手水舎がポツンとあるだけで、
あとは何にもないガランドウだ。それにしても、本堂の前にある石灯籠は
なんでこんなにデッカイんだ。普通の家の3階辺りの高さは有にあるぞ。
何から何までこうもデカイと細かいとこに目が行き届かない。
野良猫を探す心の余裕もなく、何を見てるのか焦点が定まらなくてただグルグル
してるだけ。だんだんこちらも大雑把な気持ちになってくるから不思議だ。

∴ここ東別院は正式名称を東本願寺名古屋別院といい、1690年古渡城の跡地に
一如上人によって建てられた寺院で、別名を真宗大谷派名古屋別院という。
本堂はなかなか壮大な建物で456畳もの広さがあり、千人以上が一度に入ることが
できると寺では自慢しているが、私が行った時も靴が一足脱いであるだけだったから、
普段は手持無沙汰で閑散としてるというのが偽らざる事実。
正門から入って落ち着かない境内を左に曲がると何故か古渡城跡の石柱が
有り難みもなく隅にひっそりとと立っている。ただそれだけ。その北には
お東幼稚園という名のガキの施設があり、本堂からは坊主のお経をあげる声も
聞こえないし、線香の匂いも漂ってこないただの休憩所みたいなところだった。

∴しかし、悪いことばかりではない。この寺も捨てる神に拾う神があるように、
ささやかな庶民に守られて今日まできた。それを実感したのが、
帰りがけに擦れ違った自転車に子供を乗せた若い母と子。
この場所には似つかわしくない親子がどうするのか見ていると、自転車を止め、
ごく自然に本堂の方に手をつないで行くではないか。それは夕食の買い物の
ついでに今日一日のカンシャをお参りに来たのかどうか判らなかったが、
すごく自然ですごく清清しかった。そうこうしてるうちに、あまりのデカさに
首が痛くなってきた。いつもの帰る時と同じで、負け惜しみでなく
2度と来てやるもんかと汗を拭きながら堅く誓って寺をあとにした。

◆古渡城址:古渡城は現在の下茶屋公園(どうでもいいけど、
この池の水はどこから供給されるのだろうか?)と東別院の辺りにあり、
当時は東西140m南北100m、周囲に二重の堀を巡らした巨大な平城だった。
この城は織田信長の父・信秀が築城したのが始まりで当時東側は海岸線、
南側は鎌倉街道(当時の東海道)が通っていたという人通りの多い場所だったようだ。
信秀は那古野城(名古屋城の前身)を信長に譲りこの城に移り住んだ。
ここでは信長が13歳の時“織田三郎信長”の名で元服をした。
その後、信秀が末森城に移り、信長も清洲城に移ったためわずか14年で廃城となった。

∴東別院から道を挟んで西側に民家で囲まれた名もない寺か庵か、
そんなもんがふと目に止まった。早速どんなとこか行ってみることに。
まず、民家に挟まれ一歩下がったところに間口の狭い山門がある。
その門はたいしたことないが左右の塀がいい。シャレた透かしの入った塀で、
日本人の遊びごころも捨てたもんじゃないなという気がした。
門をくぐると参道とも通路ともつかない、真直ぐに伸びた1本の道、これがまたいい。
この辺りいたって静かなところだが、それに輪を掛けて
この小路は静寂が風呂敷を大きく広げて待ち構えていて、
あたかもタイムマシーンで江戸時代に連れ戻された気分だった。

∴鬱蒼した木々の間を真直ぐに敷き詰めた石畳がこれまたいい。
向こうには正門とおぼしきものもかすかに見える。本堂とかそういった寺の施設は
全然たいしたことなかったが、この小路だけはどこにも引けを取らない、
京都に今でもある有名な小路にも負けない超一級品の小路だった。
ここのこの感じを肌に感じるだけでもここに来る価値があるというもの。
この寺、帰って地図で調べてみると祟覚寺という寺だった。
しかし、案の定HPで調べてみてもそんな名は出てくるはずもなく、
宗派も由来も結局判らずじまいだった。この続きは怒濤の次回のココロなのだ。
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写真1:東別院は何から何までとにかくデカイ。取り柄はデカイこと。
しかし、繊細さがまるで縁のない大味な寺だった。
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写真2:東別院の柱に狛犬がいた。
by tomhana193 | 2005-12-19 15:26


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