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名古屋見聞録:19

手仕事

世の中にはどうでもいいことに人一倍情熱を傾ける人がいるもんだ。
ココにある石碑は言ってみれば案内版というか目的地の位置を示す道しるべみたいなもの。
「あなたがお探しの親子地蔵尊はこっちですよ」という単なる道路標識みたいなもの。
それなのにどうしたことか私なんかは畏れ多くも本題の親子地蔵尊よりも
コッチの石碑の方に何故かココロ引かれてしまうんだな。アマネク人々に
慈悲のココロを伝える地蔵尊よりはよっぽど無意味なものなのに、
それでいて人間性みたいなものが石碑全体から匂ってくるぐらい。
それは何故かと問われれば「まさに手仕事だから」と答えるしかない。

「字は体を表わす」という言葉があるかどうかは知らないけれど、
この石碑の字からはこの石碑を建てたであろう名古屋市西区塩町(もうそんな町名は
西区には残っていない)に住んでいた伊藤萬蔵という人の面影まで伝わってくる。
どっしりと微動だにしない信心深さと、それでいてそういう自分をちょっとだけ
アピールしたいという甘えみたいなものが手に取るように判ってくる。
それに萬蔵という人は遊び心の判った人みたいで今の人達はダサイと思って
絶対に使わないような手の指マークが何ともカワイイではないか。

テレビを見ていると時々誰が見てるかも判らない番組なのに突然見なれぬ和製英語?
が出てくることがある。例えば最近よく使われる言葉でIDENTITY(アイデンティティー)
という英語か和製英語かも判らない言葉がある。ハッキリ言ってこの言葉の意味を
私は知らない。しかし、使ってる人もさもアタリ前のように使っているし、
使われた方もごく自然にうなずいている。でもよく考えるとこの言葉の意味を
ちゃんと知っている人がどれほどいるんかなと思ってしまう。辞書で調べると
「自己同一性。自分が自分であることのあり方。また、その根拠」とある。

これを読んで「ああ、そういうことか」と素直に納得できる人がどれほどいるのだろうか。
当然私も雲を掴むように判らない。しかし、こんな海の物とも山も物とも判らない言葉が
スーパーの安売りみたいに巷を、お茶の間を、席巻して久しい。
若い人達はさも判っているかのように堂々とその言葉を多用し、その言葉の意味が
みんなの共通認識かのようなつもりでいる。いつしか日本語なのかも判らない言葉が
蔓延している。そんな時、世界と日本のロゴを紹介するというブログを見つけた。
その中にあるものは「洗練さと普遍性は世の中が求めていることだ」というもの。
「一流で隙がないことは尊敬に値するものなんだ」という感じだった。
でもホントにそうなんだろうか?

話は変わるが最近、家庭用の消臭剤(あの、洗濯物でもベットでも何にでも
シュッシュするといやな匂いを全部取ってくれるあれ)のコマーシャルが
やたら目に付くようになった。効果のほどは買ってないのでナントも言えないし
(個人的にはイラストで説明してるような効果は期待できないと思うんだが)
ましてや買おうとも思わないが、あんなものが流行るとは変な世の中になってしまったもんだ。
また、以前から便所に置く防臭剤(原理的にはより強い人工的な匂いをかぶせて
いやな匂いを判らなくするのだと思うが)の花盛りなこと。
これまたイヤッていうぐらい数え切れない商品が出回っている。

しかし、よく考えてもらいたい。人間と言えども動物の一種。
動物が本能的に自分の家族を匂いで嗅ぎ分けたり、自分にとっての身近な匂いを嗅ぐと
リラックスできることと同じようなことがこれまでの人間でもあったし、
これからも確実にあるはずだ。それなのに今の日本人は成長するための大事な匂い
(例えば赤ちゃんにとっての母親の匂いなど)も含めて全ての匂いから
自分達を遠ざけている。無菌無臭そのことがさもいいことのように、そのことが
洗練されたハイソサイティーな生活だといわんばかりに。はたしてそうなんだろうか?

とある寺にお参りした折り、祠の前にあった待ち合い所みたいな何でもないところに
コレが掲げてあった。どう見ても達筆とは言いがたいシロモノ。
がしかし、これは信者の誰かがお経を知らないか、はたまた忘れた人のために
ワザワザ書いて貼ったもの。御仏の前で皆が同じお経を唱えたいという
純粋な気持ちでやったこと。字は拙いけど書いた人のココロは拙くはないと思った。
今の世の中、オシャレで洗練された舶来(この言葉もとっくに死語だな)の
ブランド品ばかりが巷にこれでもかというぐらい溢れている。

「ルイ・ヴィトン」「エルメス」などいいのかも知れないけれど私には
どれも同じように見えてくる。あに反して今の人達は他の人とは違う自分を求めて
誰も持っていないような更なるブランド品を買い求めている。しかし買った人が
余りにも多いから結局そのブランド品を持っていても個性というものには
繋がらなくなった。そんなイトモ簡単に自分だけの個性が獲得できると思う方が、
お金で何でも解決できるなんて思うこと自体、昔生まれのお釈迦様は
ご存知ないことなのだ。時代に唾する者は結局は何もかもなくしてしまう者かも知れない。
最近、私はテ・シ・ゴ・ト、この4文字に何故かココロ引かれてしまう自分に気付く。
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写真1:覚王山を歩いていて誰にも見向きもされない石碑を見つけた。
こんなものでもよく見るとそれなりのものなんだな。
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写真2:どう見ても達筆とは言いがたいシロモノ。
by tomhana193 | 2005-12-19 18:26


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