歴史のオマケ:7

祠/1 ・お堂/1

屋根の上に『屋根神様』という名の小さな祠を載せて祀るという風習が
何故か名古屋を中心に残っている。と胸をはって言いたいのはやまたまだが、
残っていたといった方が今の現状には合っているようだ。
元々幕末から明治維新の頃にかけて「お札が空から降ってきて落ちた家の屋根に
祀られた」とも伝えられる屋根神様は火災や悪性の伝染病などの恐怖から
身を守るために素朴な庶民の祈りがカタチになったものだという。

名古屋市内でも昔は約250祠もあったこの屋根神様、明治から昭和初期に掛けて
どういう訳かこの地方だけに根付いたようだ。祀られている神様は津島神社・秋葉神社・
熱田神宮などが一般的で毎月1日と15日に町内の人々の中から当番を決めて
祈りとお供えものを続けているという。でも近頃はマンションなどの集合住宅が増えてきたし、
祀を守っていくことを継ぐ者もだんだん少なくなったようだし、数人の老人だけで
細々と当番を回しているというのが悲しいかな現実なのだ。

「なんで屋根にあるの?」という素朴で単純な疑問が聞こえてきそうだが、
屋根の上にあるというのは当時庶民の多くが長屋住まいで祠を建てる土地を
持っていなかったから。民衆の知恵から生まれたものといわれている。
新聞の記事によると枇杷島学区では昭和初期にかけて隣組同士で競うように祀ったため
ソコカシコに屋根神様の祠が残されていたらしいが、近年家の建て替えや
維持管理の問題のため消えてなくなる傾向にあるという。

枇杷島学区では9年前の13祠から8祠に減り、西区ではこの18年間で129祠から
70祠とほぼ半減している。運よく残っても祠への梯子の昇り降りが大変なため
地上に降ろす家も年々増えているという。それもこれもみんな人間の都合である場合が
ほとんどだが、屋根神様はきっと屋根の上で地団駄踏んでいるにちがいない。
貴重でしかも掛け替えのないこの地方のキモみたいな歴史生き証人達が
年々失われようとしている。私も機会があればまた西区辺りを彷徨って道路に降りた
『屋根神様』ではなく、あくまで屋根に昇った『屋根神様』にお会いできることを願っている。
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写真1:これも屋根神様だと思うが自信はない。
しかし、他に考えようもないので屋根神様だと納得することにした。
(西区那古野界隈
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写真2:廃屋寸前のボロい2階建の家で見つけた。
もう誰も面倒をみていないのか朽ち果てようとしていた貴重の逸品だ。
(西区那古野界隈
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写真3:こっちの屋根神様は近くに四間道が通り、
いろんなHPに出ている人気者。ここだけが手厚く守られている感じだ。
(西区那古野界隈
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写真4:ただの爺さんではない。この爺さん、
役行者と書いてエンノギョウジャと読む修験道の開祖だという偉い人。
(西区善光寺別院
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写真5:「延命地蔵大菩薩」という名のお堂を
とある路地裏で見つけた。回りの人々から守られているのが判る。
(西区幅下界隈
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写真6:門前に2体並んであった地蔵堂。
やさしい面影が見ている者を何故かほっとさせてくれる。
(西区法源寺
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写真7:個人所有の土地にこんな立派なお堂があった。2体の地蔵が
日に照らされて佇んでいた。右側に馬頭観音第1号がいたのね。
(西区上小田井界隈
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by tomhana193 | 2005-12-20 14:49


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