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歴史のオマケ:25

賽銭箱/1

賽銭箱でHPを検索していたら面白い記事にぶつかった。
その記事はというとこんな感じ「宗教そのものには関心はないが
神社の道具だてには鳥居をきっかけにして興味が湧いた。
その中のひとつが賽銭箱である。箱はお寺にも神社にもあり、しかも形が同じである。
神社型賽銭箱だ。お寺型賽銭函だという違いが見あたらない。
その箱についての関心事は「賽銭箱はお寺が先か神社が先か」
という下世話なものである。

答えは次の三つの中にある。1.神社が先 2.お寺が先 3.どちらが先とは言えない。
「賽銭箱」を宗教関係辞典類でみると「祈願成就の報賽」というのが共通している。
そこを切り口にして1.は仏教が入って来るよりも前から吾が國にあった自然神信仰だから
賽銭箱も、初穂を供えることの変化形で初穂受けとして以前からあった。
2.は鎮護国家が当初の仏教の姿だからしきりと祈った。蒙古が襲って来た時も祈りまくり、
我が国が無事だったのは吾等祈り力のせいだ金を出せ。と言ったほどだから
祈祷料受箱として寺が先。3.は奈良時代から神仏習合になっていたから、
どちらが先とは言えない。

日本の古代神道は自然崇拝だから理論も教義もなく、人々はただ敬いオガムだけである。
それに対して新規参入の仏教は教義、経典が整っている。
仏教が神道を見習って採り入れたものは殆ど無かった。なにを今さら、ということだろうが
参考にしたのはただ一点。御神体を見せないことだったと何かで読んだ。
即ち神秘性である。神道としては隠す意図はなくて、あの岡の上の石に神が降りて来る。
あの山の大木が御神体だということで動かせない。社の中に何もないから見せようがない。

反対に仏教界はこの見せないということを採り入れて二重三重に帷の奥へ
仏様をしまい込んだ。そして重みをつけて10年に1度お見せする、12年に一度拝ませる、
うちは60年に1度の御開帳だ、とアリガタミをつけた。時は流れ付けた神秘性に
今は困っているのではないか。60年に1度しかツアー客を呼べないのでは手が打てない。
平成の今、数百年の仕組みをあっさりと捨てて特別開帳だ、誰某開基の大遠忌だ、
何々記念だと言ってツアー信徒に拝観の恵みを毎年施している。

昔からその他にも金稼ぎの智恵はなかなかなもので、次から次ぎと新しい宗派を創設したり、
釈迦以外に菩薩だとか、これは色々変身するんだとか、菩薩じゃない如来が上だとか、
中でも極め付けは大日如来の出現と次々に新企画、新商品を送り出して
浄財集めに長けたる仏教界が先に賽銭箱を考え出したと私は思っている。
文献上は鶴ケ岡八幡宮の社頭に賽銭箱を置いたと別当の日記に出てくるのが
初めとなっているが、それは記事になったことだけで事象としては
寺が先に箱を置いたと考えている」とざっとこんな感じ。

話はいささか偏ってはいるが、私も賽銭箱を初めに設置したのは寺院だと思っている。
何故なら民衆の中に根づいている神社に比べて何処かエリート意識が抜けない
寺院の方が庄屋根性まるだしで考え付きそうなことだと思ったから。  
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写真1:庶民的なお稲荷サンの前にあった
コレと言って取り柄もない庶民的な賽銭箱。
(中区住吉神社
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写真2:いかにも「ゼニならありまっせ」というような
懐具合を感じさせる立派な賽銭箱だ。
(昭和区伊勝神社
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写真3:こうなるといい悪いどうのこうのとは言えない。
市販の賽銭箱にはないチカラ強さを感じるのは私の独りよがり。
(港区築地神社
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写真4:御神酒置場のような、祈りに使う備品置場に
なっているところがいかにもこの神社らしい。
(中区浅間神社
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写真5:もう、何が書いてあるのか判らない賽銭箱。
違います、教養がないので何て書いてあるのか判らないだけ。
(北区綿神社
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写真6:この賽銭箱を見てハタと感じたんだな。
「これはいい」これから賽銭箱を集めよう。
(千種区城山八幡宮
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写真7:さすが成り金寺だけのことはある。
しかし金ピカの葵御紋と下に取り付けてあるキャスターが何かマヌケ。
(中区万松寺
by tomhana193 | 2005-12-21 11:06


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