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GOB備忘録:15

ライブと私の備忘録[5]

前回はライブの曲目・曲順の話で終わっが判ってもらえたかな。
判りやすく言うと3人が3人ともカポなしのGのコードを弾くのと3人がそれぞれが
カポなしのG、3カポのE、5カポのD(この3ツの音は同じ)のコードを弾くのとでは
音の深みが全然違って聞こえてくる。という訳でGOBの場合ある曲を演奏する時、
ギターを弾く3人が3人とも違うコード進行で同じ曲を弾いている、ということになる。
それにプラスして雄サンがオープンチューニング(主にDかG)にする場合は
弦の音自体を変えちゃう。だから曲の合間を開けずにスムーズにライブするには
曲順が思いのほか大事になる。あんなライブの裏に私達の緻密な努力が
隠されていたなんて、知ってる人は多分少ないだろうな。

それとGOBの場合、ライブの1曲目は誰が歌おうと、何処であろうとも、
まずはブルースと決めている。それはブルースでその日の調子を確認するのと
同時にメンバー全員をリラックスさせるという効果も秘かに狙っているから。
何故ならその日のライブで万一新曲をやる場合、何のことないライブの1週間ぐらい前に
たった1回練習しただけで(後は自主的にやる人があればやればいいという感じ)
本番を迎えるということになる。これがモサ揃いのGOBでも思いのほか緊張することなんだな。
だからやり慣れたブルースでまずはリラックスしてその日の気分を高めるという訳。
この方法にしてから自分で言うのも何だが結果は上々ということにしておこう。

ブルースのレコードといえばまっ先に浮かぶのが「Play the Blues」という
シカゴブルースの代表作(Buddy GuyとJunior Wellsの共作)。
たくさん聞いた証拠にこのアルバムからは「Messin' with the Kid」ほか2曲を
レパートリーに入れている。それからはギターのバディ−よりもどっちかというと
ブルースハープのジュニア・ウェルズの方に注目がいった。何と言ってもジュニアの方が
カッコよかったし、彼の歌うブルースは「これぞシカゴブルース!」という感じだったから。
その後発売された「Hoodoo Man Blues」からは「Snatch It Back And Hold it」ほか
4曲をレパートリーに入れ、名古屋でこれだけの曲をやれるのは俺達だけだと
秘かに自負している。→ジュニア・ウェルズの「Snatch It Back And Hold it」

ホンモノの黒人ブルースが何とかやれると自信が付いてきたここら辺から、
より視野を広げて自分に合ったブルースを探す、カッコよく言うと荒野のまっただ中に
ひとり歩き出したという感じだった。その前にブルースのことを話さなければいけないのだろうけど、
そういう難しいことは私とっては苦手なので去年客寄せパンダよろしく
最後のライブをした映画「The Blues」のオフィシャルHPを見ていただこう
(書いてあるかどうかは判らないが)。ただ一つ言えることは初期のブルースには
著作権が曖昧なのか、同じ題名の曲を何人もの人が同じ歌詞で、
もしくは一部自分の歌詞に変えてレコードにしている。アバウトと言えばアバウトなんだけど
多分元歌を作った人には一銭も入ってないんじゃないのか。

だから’70年代までに録音されたブルースは一応作者は判っているものの、
言ってみれば「みんなの歌」という性格が強い。例えば以前取り上げた
ロバート・ジョンソン作詞作曲の「Dust My Broom」という曲は
ブルースシンガーだけに限ってみてもエルモア・ジェームズ、タジ・マハール、
アルバート・キング、ルーサ−・アリスン、フレディー・キング、ジョン・ハモンド、
ハウリン・ウルフ、オーティス・スパン、サニーボーイ・ウイリアムソン2、
ジェームズ・コットンなど錚々たるメンバーが取り上げている。
しかし、これ程いても元歌に忠実にやっている人がこの中に何人いるのか。
日本の民謡みたいなもので、もっと融通が効いて自由なもの、それがブルースだ。
→アルバート・キングの「Dust My Broom」

という訳で私は名古屋にあるレコードショップ(その頃、中古レコード屋というものが
ぼちぼち出回ってきていた)を捜し回った。そして今池に今でもある中古レコード屋
ピーカン・ファッジへ足繁く通ってやっとの思いでブルースのレコードを見つけた。
例えばマディー・ウォーターズ(名前くらいは知っているのかな)の
「The Best of Muddy Waters」。さすがシカゴブルースの大物のことはある。
名曲揃いのその中から「Long Distance Call」「I'm Ready」「Hoochie Coochie Man」
といった曲を取り上げてみたがモノになったのは「Hoochie〜」ぐらいのもの。
「Long〜」はちょっと地味過ぎるし、一番好きだった「I'm Ready」は余りにも早口過ぎて
これがお手上げ状態だったんだな。→マディー・ウォーターズの「Hoochie Coochie Man」

この際、マディー・ウォーターズのことを紐解いておくか。
1915年、ミシシッピ州のクラークスデイルというところに生まれる。
10代の後半からブルースを始め、サン・ハウスやロバート・ジョンソンなどの
影響を強く受ける。1941年、国会図書館の資料のためにフォークソング採集家が
ロバートの歌うデルタブルースを録音しようとやって来た。
が、しかし既に彼は死んでいた。そのことを知った採集家はロバートの代わりに
マディを録音する。その録音がきかっけとなり1943年にシカゴに出て来ると、
エレキギターによるボトルネック奏法を駆使しバンドブルース(いわゆるシカゴブルース)の
スタイルを築きあげる。以後シカゴブルース界の大物としてビッグネームを残す。
→サン・ハウスの「My black mama」
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写真1:ちょっと前の研チャンのライブ風景。
by TOMHANA193 | 2010-03-02 13:05


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