GOB備忘録:9

ライブの曲目について:I君編

最後に教授ことI君について書こうと思う。I君との付き合いは今まで紹介してきた
雄サンや研チャン達とは違って、私が高校生の頃まで溯る。
そもそもI君は私の次兄の同級生だった。本来なら挨拶する程度で終わってしまう
淡い関係のはずだったのだが、キッカケは次兄の通っていた大学の学園祭に
私とI君がこれまた音楽サークルの部長をしていた次兄に誘われてコンサート
(カルメンマキとOZの前座をしたのがこの時のもの)に出てしまったことが始まり。
私がサイドギターでI君がボーカル。曲目も当時流行っていたバットフィンガーから
コテコテブルースのハウリン・ウルフと、今思うと何にも考えていない笑える選曲だった。
そして、肝心のコンサート自体は一生懸命練習した割にはイマイチだったような気がしている。

そして暫くしたらI君の通っていた大学でも学園祭(東京大学の駒場キャンパスに入ったのは
この時が最初で最後のまさしく珍事だ)があり、どうした訳か今度はI君と二人だけで
体育館で開かれたコンサート(たった1曲、アニマルズの「朝日のあたる家」だった
ような気がする)に飛び入りした。パッとしなかったのか、その後はお互い別々の道を
歩いていたのかこれといった思い出がない。私は高校を卒業して名古屋に帰っていたし、
I君はI君で知らないうちにアメリカに留学していたと聞かされた。
どういうことでそうなったのか今では全然思い出せないのだが、既に名古屋で就職していた私が
留学していたI君を頼って初めてのアメリカ旅行に出かけていった
(確か24〜5歳の頃だったような気がする)。I君とはカロウジテ繋がっていたみたいだ。

名古屋に帰ってきた私は今池のユッカで雄サンと研チャンと運命的に出会い、
それ以降はいい時も悪い時もツカズハナレズずっと彼等と共にライブ活動を続けていた。
そして出会いから15年経った1988年の秋、バンド結成15周年の記念ライブを
今池にあるボトムラインで(実際はボトムラインの前身であるメトロという
休業中のキャバレーを借り切って、当時3500円のチケットが500枚以上も売れた)
盛大に行なわれた。この記念ライブには大きなオマケも付いてきた。
この時、久しぶりに顔を見せていたI君(この時、既に中京大学の教授だった)を
強引に誘って第2期GOOD OLD BOYSが船出したことだ。

ライブはもっぱらアルマジロ(今は移転して本郷にある)で1〜2年は月1回きっちりコナしていた。
そのうちキーボードとか、女性ボーカルが新規加入してきて総勢9名の大所帯になった。
また、アルマジロとは別にボトムラインでの定期的なレイトライブも着実にコナし
順調に進んでいたかに見えたのだが、意思疎通が計れなかったのが原因なのか、
福チャンの突然の「別のバンドでやりたい」という発言でバンドはもろくも空中分解した。
こうしてI君と同じバンドでのライブ活動も結構短い期間で終わってしまった。

I君を語る時、外せないシンガーがいる。今は亡きシカゴブルース界の巨人ジュニア・ウェルズだ。
日本人にとって難解でマネ出来ない彼の歌をナント7〜8曲もレパートリーに入れている。
そのことだけでも恐れ入るのに、I君のオハコは何とエリック・クラプトンがプロデュースした
ジュニア・ウェルズとバディー・ガイの超話題作「プレイ・ザ・ブルース」に収録されていた
「I Don't Know 」という曲だ。ちょっとぐらいブルースをカジッた人には
全然歯がたたないホンモノテ−ストのブルースだ(結えに当然私は歌えない)。
ブルースブラザースの映画でも主人公達が歌っていたから「ああ、あの歌ね」と
知っている人もいるはずだ。

私個人としては「 Early in the morning」の方のが好きなんだが、まぁどっちでも大差ないかな。
日本人のプロアマを問わずこの歌をヤッているブルースシンガーを見たことがないし、
だから当然聞いたこともない。最近の日本のMTVをたまに見るんだけど、
流行の最先端はラップを日本語で歌うことみたいだ。聞いてみて思うことは
「コイツラ何か違うぞ!米喰っててラップは何処か違うぞ」だ。ニセモノを聞いていると
ホンモノとは何処かちょっとだけ違和感みたいなものがどうしても感じられてしまう。
日本人のラップもしかり。そのちょっとが大変なんだ、向こう岸に渡れないんだ。
なりたいと思うこととなりきることは言葉の上では同じように聞こえるが
実際は全然違うということだ。

突然、脳硬塞に倒れて1年以上もライブから遠ざかっていた。
もう歌えないかもしれないとも思った。でも、ああだこうだと考えるよりも
慣れることだと思い立った。ビッコだろうと、片手が使えなくても歌は歌えるはずだ。
しかし本当は脳硬塞って大事な声帯にも多大な影響を及ぼすみたい。
ロレツが以前みたいに回らなかったり、以前の音程では歌えなかったり、
そして音程が微妙に狂っていたりと以前の事を考えると大変なんだ。
だから例えライブをやったとしても以前みたいな曲数をコナす自信がなかった。

それでという訳ではないが、白羽の矢がI君に向けてもう一度飛んでいったのは
私から見れば当然といえばしごく当然の事だった。そんなこんなで久しぶりに
懐かしい顔が帰ってきた。ブルースを歌わしたら「ちょっとマネできないな」というのが
長年ライブを身近で見てきた私達の偽らざる気持ち。本人は「当分、音楽のリハビリが必要だ」
などと言ってるが、そのうち絶品のシャウトを、黒人顔負けのシカゴブルースを
きっと聴かせてくれるはずだ。こんなバンドだが期待せずにのんびり待っていてくれ。

今回のI君で現在のメンバー5人全員の持ち歌にまつわる話が一応終わった訳だが、
30年以上もライブを続けていると在籍していたメンバーの数だけみても
両手では足りないほどいる。ギターでは福チャンの事は外せない。
ユッカバンドからの付き合いで福チャンといえばJ.J.ケールのコカインという歌が思い出される。
ネッカラのシャウタ−だっだ。あとはサンタナ好きのヨッサンもいた。ベースはヤギ。
飄々とした可笑しなヤツだった。多分何処かのバンドで今でもベースを弾いているんじゃないかな。
あとはゴークンもいたな。ドラムは小森とショウイチ。2人とも完璧ではなかったが
味のあるいいヤツラだっだ。それと津島辺りの土建屋崩れのアンチャンみたいな
トッサンというのもいたな。キーボードは河野君だ。落ち着いて話をしないうちに解散してしまった。
バンドの名前からは考えられない女性ボーカリストも一時期加入していた。桑原さんだ。

ブルースハープでは雄サンの兄でもある薫さんの事が思い出される。
ハープもさることながら薫さんといえばノリのいいロックンロールナンバーだ。
歌はお世辞にも上手くはなかったがノリだけは天下一品だった。
ハープといえばI君も吹いているんだがこう言っては何だが歌ほど上手くない。
しかし、一時期いた広瀬君はハープにかけてはピカイチだった。
性格は一言で言うと変なヤツだったが、ブルース以外の曲にもハープを付けてくれた
苦労人でもあった。私が憶えている分だけでもこれだけいた。
次ぎに我がGOOD OLD BOYS の事を書けるのが何時の事になるのか判らないが
それまで、乞うご期待としておこうか。
♪チャチャチャ・チャチャチャ・チャチャチャ・チャチャチャ・チャ・チャチャ〜ン♪オ〜イェ!
(私の歌うブルースといえばコレ。コテコテのシャウタ−ハウリン・ウルフの
「I'm Leaving You」のエンディングなのだ!)
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写真1:GOOD OLD BOYSの光り輝いて眩しいくらいのオジサン達。
しかし、I君はここにいなければウダツの上がらない
そこらのオジサンに見えてくるのはどうしてだ。
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by TOMHANA193 | 2010-03-02 13:15


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