GOB備忘録:16

ライブと私の備忘録[6]

このブルースの巨人であるマディー・ウォーターズ。何を隠そう、名前は芸名で本名は
マッキンリー・モーガンフィールドというのだが、どうもこの本名しっくりこないというか
まったくもってブルースっぽくないのだ。もしマディが本名のマッキンリーで
この世界にデビューしていたら売れたのかどうか?それに引き換え
マディ・ウォーターズという響きはブルースっぽくて心地がいい。これは何でも子供の頃、
いつも泥んこ遊びをしていたマッキンリー少年を見て母親が付けたニックネームらしい。
マッキンリー・モーガンフィールドという本名からは想像もつかない名前。
さすが先見の明があるというのか、子供が何人もいるから
「いい加減どうでもいいや」という感じで付けたんだろうか。

ミシシッピの片田舎から這い出してきたマディはサン・ハウスやロバート・ジョンソンから
教わったアメリカ南部のデルタブルースを大都会シカゴで開花させ、
押しも押されぬスターの地位を築いていった。そんなマディが凄いブルースギタープレイヤー
だったのかというとそうではない。むしろヘタクソの部類に入ると思う。
晩年はヴォーカルだけでほとんどギターを弾いていない。しかしマディを語るときに
それは一切問題ではない。何故ならマディがいることがすなわちブルースだったからである。
そのマディの掲げたシカゴブルースの大看板にはリトル・ウォルター、ジミー・ロジャース、
ジュニア・ウェルズ、オーティス・スパン…と、数え切れないほどの一流プレイヤーが
集まってきた。→リトル・ウォルターの「You're so fine」

そして彼等(のちに彼等自身もブルース界で押しも押されぬビックになっていった)は
マディのブルースを強力にサポートした。つまりマディが始めたエレキギターによる
ブルースバンドがそれまでのブルースの概念を変え、強いていうなら現代のロックミュージックの
ほとんど全てがマディのブルースから派生していったといっても過言ではない。
あのローリングストーンズですらマディ・ウォーターズのブルースに憧れて
マディの作品「ローリングストーン」からバンド名を付けたことは有名な話。
アメリカ本国よりもそれ以外の国々で絶大な人気を誇ったマディー・ウォーターズは
まさにワールドワイドなミュージシャンだったといえるのではないのだろうか。

またまた大きく脱線してしまったが、話を戻してもう少しブルースの話を続けさしてくれ。
GOBのボーカルは私と研チャンがメインということになっているが
その他の人も一応楽器もやるけど列記としたボーカリストでもある。
ことブルースだけの話をすると、雄サンには以前取り上げたバート・ヤンシュなどの
白人ブルースの曲もあったし、ジェームス・テーラーの「The blues is just a bad dream」
というミディアムテンポのブルースとマディー・ウォーターズの「19 years old」という
変則スローブルースがある。マディーの方は以前私も聞いたことがあるし
現にCDにもなっているが、ジェームスの方は元歌を一度も聞いたことないし
いつものHPで検索しても出てこない。ホントかどうかは定かではないが雄サンが歌っているので
一応信じておこうかな。→マディー・ウォーターズの「19 years old」

はじめの内、研チャンはブルースを歌っていなかった。
もっぱら歌っていたのはシンガーソングライター系の歌か、昔ビッグンバンドで
歌っていたというスタンダードナンバーか、とにかくブルースではなかった。
しばらくして「今度のライブで歌うブルース」といって用意してきたのが「Summer time」
「Fever」といった曲。これはこれでいいんだが誰が聞いてもブルースだと判る
本格派ブルースというにはもうちょっとだったんだな。それがどこで見つけてきたのかは
知らないが「Gee Baby」というブルースの名曲を用意してきた(多分その頃GOBで
ブルースハープをやっていた広瀬君にそそのかされたんだと思うんだが
研チャンそうなんでしょ)。→ナット・キング・コールの「Gee Baby」

その後、ブルースマンのKEB' MO'という人のファーストアルバム、
その名もズバリ「KEB' MO'」というCDを持ってきた。研チャンの並々ならぬ
やる気の表れだった。その「KEB' MO'」から2年後、セカンドアルバム「Just Like You」に
収録されていた「More Than One Way Home」という曲を歌うようになってから
研チャンが変わった。それ以来、コテコテのブルースマンであるタジ・マハ−ルの
「Cheatin' On You」やゲーリ−・ムーアバージョンの「Walkin by Myself」を
喜々として歌うようになった。それから私が見つけてきたのがケブ・モの「Henry」という曲。
その後、私が脳梗塞に倒れてギターが弾けなくなったのでその歌が研チャンへの
最後のプレゼントになった。→ゲーリ−・ムーアの「Walkin by Myself」

それから研チャンと言えば何といっても「Ain't nobody's bussiness」
「Send me someone to love」といったブルース兼スタンダードナンバーが思い付く。
ブルースほど客受けはしなかったが私としてはそれはそれとして気に入っている。
日本の場合、ブルースといってもプレイするのは結構若いヤツばかり。
クラプトンか何かに憧れて入ったのがほとんど。そういう何も知らない若い者には
研チャンの歌はいいクスリ、いい励みになるんじゃないのだろうか。
若さでやれる内はブルースもホンモノではない。人生と共に歌い続けることが
そもそもブルースであり、研チャンの歳とは言わないまでも40、50歳まで
ブルースを歌っていたらそれこそブルースが血となり肉となった証拠なんだ。
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写真1:ちょっと前の研チャンのライブ風景。
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by tomhana193 | 2005-12-20 10:44


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